相生あおはの書庫

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創作と生成AIについて

※この記事は とんえぼ老人部 Advent Calendar 2024 25日目の記事です

こんにちは。相生あおはです。
早いものでアドカレ最終日です。そして今年も全日埋まりました。みんなありがとう。
年の瀬ですし、作曲している身として考えた真面目なことをなんとなく書きます。

~~もくじ~~

最初に要約

創作人口の減少に繋がると考えます。ただ、全体的で見れば創作文化の衰退には繋がらないと考えます。完全にシェアを生成AIに奪われるまではいかないはずです。なんだかんだ創作文化は絶えないと考えます
また、私自身が創作人というのもあり、反対派に極めて近い意見となっています。興味が無い場合はここでブラウザバックして頂いて構いません。

最初に定義

ここで扱う生成AIとは、著作権法の定める著作物を生成する生成AIのこととします。つまり、曲やイラストに留まらずソースコードや小説までも含んでるつもりです。が、基本的には曲とイラストが対象となります許して。

書いた機運

2つ。

  1. 身の回りの創作人が生成AIの在り方を考えてたり、いろんな絵師さんがイラストの生成AI利用者による著作権侵害に苦しんでいる様子を見たこと。
  2. 楽曲の生成AIが思ったより早く出現したこと。

生成AIについて思うこと

はじめに

そもそも私は人工知能(AI)という表現が嫌いです。なぜなら、人工的に知能が作りだせているように見えて、実際は膨大なパラメタをただ再帰的に決定しただけのブラックボックスに過ぎないからと私は考えているためです。
ただ、今の時代AIという表現を使わないとどうしようもないため仕方なく使います。電機屋で「ギガ」と言われても眉を顰めるのを死ぬ気で我慢するのと同じ感覚です。

ここでは、イラストの生成AIが出現した初期に乱立した生成AI絵師のような存在は取り上げず、ただただ生成AIについてを取り上げます。

生成AIの出現と進化は詰まるところ"機械化"

よく言われていることです。手製品が工業製品に置き換わった時と同じことが芸術分野で起こっているということです。

ここで、今身の回りにあるものを見ると、大半が機械製造の物です。オールハンドメイドの物は非常に少ないはずです。
これは、その特定の製品である必要性はなく、特定の機能を実現する製品であれば何でもいいからなんです。つまりそれらは、唯一性が重要ではなくなっている製品と言えます

たとえば機械製造されたアイデア製品があります。ただ、そのアイデア製品が陳列棚に存在している場面では唯一性はありません。なぜなら特定の製造番号の製品でなければいけない理由はどこにもないためです。
なおここでは、ロットガチャといった話は見当違いです。なぜならそれは当たり外れという差異であり、生じた個体差に対する価値観は基本的に万人共通です。その特定の製品である必要性とは異なるためです。

ところで機械製造でありながら唯一性が重要な場面が一つだけあります。たとえば、生じた個体差に対する人の価値観が変わってくる縫いぐるみ等といったものを、同じ売り場から一つ選ぶ際。
インスピレーションで選ぶ時もあるかもしれませんが、よく吟味する時もきっとあるはず。この場面においては唯一性を重視していると言ってよいでしょう

消費者側の目線

例えばここで縫いぐるみを例に挙げると、機械で大量生産された個体と、手芸フェアに並んでいるに並んでいる個体とで、消費者側にとって違いが無いと言えることです。
手芸フェアに出展している方々がどれだけの思いを込めて創ったかは、大半の消費者にとってどうでもいいことなのが現実です。

こう書くと「それは作り手に失礼じゃない」と思う人も出て来るでしょう。しかしこれがまさに、生成AI出力物と、創作人が作った創作物の関係性に相当します

製造工程の重要性

話を生成AIに戻します。上で見た通り、最終的に手元に届いたものを消費者が良いと思えば、手製品と工業製品、創作物と生成AI出力物どちらでもいいんです。

極端な話、手元にあるポストイットが手製品であるか工業製品であるかなんてどうでもいい話です。

しかしそこに価値を見出す価値観も確かに存在しています。こういった価値観は製造工程を重要視しており、最終的に手元に届いた結果生まれる価値に加え、その過程にも価値があるということです。
いい例が養殖モノと天然モノの魚でしょうか。

製造工程が重要になる場面

養殖モノの魚と天然モノの魚ですが、多くの人にとってみれば安ければどちらでもよいのが現実です。しかし、両者間に存在する細かい味の違いを感じ取れる人にとっては天然モノを選んだり、敢えて養殖モノを選ぶといった差異が生まれます。

こういった違いを感じ取れる人にとっては、製造工程も含めて物の価値に繋がります。

つまり何が言いたいか

多くの人が感知できる生成AI出力物と創作人による創作物の差異は、製造工程を気にするときに初めて生じ、もはや多くの人にはどうでも良くなっているということです。
芸能人格付けチェックで全員が全問正解できないものと似たものを覚えます。気づく人は気づく、多くの人は気づけない。

実際のところ適材適所という話

その人が何に価値を見出すか、重きを置くかという点を重視すると、中立的な意見が導けます。

生成AI出力物の消費と、創作人による創作物の消費の二者は、まるでゲームのオートプレイを眺めるだけなのと、自分でプレイすることの対比と似たように感じます。
こう考えると、一概にどちらが良いと言えなくなる気がします。ただ両者共譲れない信念があるため論争が起こっているんでしょう。きのこたけのこ戦争と同じです。

例えば過程を飛ばして結果だけ欲しい場面もあります。そういう所では生成AI出力物の方が圧倒的に適しています。ようは適材適所です。クッションとして一旦ここで中立的な意見を述べました。

問題点

著作権侵害

これはよく言われていることです。度々生成AIが訴訟されていることは皆さんもよく知っていることでしょうから、ここではこれ以上取り上げません。

創作活動へのハードルが上がる

今はもう、ある水準の品質の物は生成AIが出力する世界です。新規参入者が無の状態から始めたい場合、第一関門が昔と今では比較にならない程高くなっています。
昔は、創作したらみんなで盛り上がる風土があったそうですが、今は基本的に生成AI出力物と比較されるんじゃないでしょうか。

その環境下でも創作活動を始めて続けるモチベーションを維持できる人ももちろん存在します。しかし、生成AIによるある程度の品質の生成物の氾濫は、緩く始めて筆が乗って来てからモチベーションが出るタイプの人を振るい落とすことに繋がると考えます

私はそういうタイプの人ではないのであまり分かりませんが、なんとなく始めて、そのうち火が付いて続いたという人も少なくないそうです。
第一関門が厳しくなれば活動を続けられる人も減るでしょう。

しかし、その関門を越えた強者たちが、楽しみながら作るのではなく生き残りを賭けた殺し合いをする勢いで創作しあう展開になることは容易に想像できます。こう考えると、既に曲を作れる立場である私は武者震いする想いです。
そしてこれにより益々新規参入者が入る余地が奪われるでしょう

創作人へのリスペクト低下

創作人による創作物と、生成AI出力物とでは、後者の方が圧倒的に単価が安いです。ビジネス的観点からすれば、両者の品質が95%信頼区間に含まれる人間に弁別できない場合、わざわざ創作物を採用する理由がありません。

このときの創作人として感想は、創作物も所詮ただの素材として扱われていたんだなという感想です。当たり前なんですが、いざハッキリと突き付けられると悲しい気持ちがあります。
我々は唯一性を重視して作り出していたにもかかわらず、大半の消費者に汲み取られなかったということです。汲み取れるように作れと言われるでしょうが、ソースコードでは限界がありますし、基本的に発注通りに作るという場面では曲でも独創性はあまり重要ではありません。
発注通りの成果物をただ安い単価で手に入れるなら、生成AIを使わない理由はありません。曲を作っている立場でこんなこと言うの悲しくなりますがこれが現実だと思います。

適材適所と上で述べましたが、適材適所の範囲を誤らないで欲しいところです。ただし赤の他人間での性善説ほど信用ならないものはありません。

お気持ち

マイナス面

私は訳あって、曲やイラストが生成AI出力物に取って代われれている場面を多々見ているのですが、正直なところ曲やイラストを創作できない・創作人から準備できない人の悪あがきにしか見えないです
本来であれば、あなたの能力・人脈・依頼力の不足です終わり、になるべきです。しかしそこに生成AIが出現して進化しまったことで、取ってつけたように素材を強引に持ってきて、無理くりプロダクトを作れるようになってしまいました。
そうやって出来上がったプロダクトって、その人にとって本当に作りたい物なのでしょうか。その人が満足できたとしても、創作活動の神髄は絶対分からないはずです。たとえビジネス的な創作活動だとしても、創作物そのものという観点では一緒だと思っています。

創作活動の神髄って、似た価値観・創作観の人がなんとなく集まり、価値観が衝突し止揚し、その結果新たな表現が発現した創作物に仕上がることだと思っています
ビジネス的観点ではこういう所は無駄ですが、本当に人の心に届くプロダクトってそういう所が重要になるはずです。多くの人が言語化できないポイントで人の心を動かす。創作人である以上、ここは信じて疑いません。

こういう所から、生成AI一強みたいな風潮になっても一周回って創作活動の手作業の価値を見出す人も一定数生まれて欲しいところです。その結果、生成AIはあくまで補助ツールとなるのが、一番いい落としどころと考えます
創作物の出力自体を補助ツールというのは無理があるという価値観も生まれてきて欲しいなとは思います。


生成AI出力物になんとなく嫌悪感を覚える方々がいてくれる限り、適材適所の範囲を誤り創作物を単なる素材として扱っているようなプロダクトには負の作用が働くはずです。
でもこのまま技術が進めば、そういう方々も嫌悪感を覚えられなくなり、いよいよ創作の世界にも本格的に"工業化"の波がやってくるのでしょう。

一方、厳密解を求める場面で生成AIを用いるのは逃げだったり、AIの中身が正直よくわからなくなってきたという話を見聞きすると、このままずっと順当に進化を遂げ続け受け入れられていくとは思えない気がしてきます。が、現実は小説より奇なり、100年後200年後どうなっているのかは誰にも分かりません。

プラス面

上でも書きました。創作人が生き残りを賭けた殺し合いが起こり、創作人の間で過酷な切磋琢磨が起こる可能性があるのはプラス面です
勿論そこで私が振るい落とされる可能性もありますが、その時まで必死に食らいつくつもりです。
もしそこで振るい落とされたら素直に100%の自己満足に切り替えればいいだけで、やめる理由にはなりません。ただ自己満足というのはその人の作風が最大限出る場面でもあるので、切り替えとは何かという問いも生まれそうで、結局振るい落とされてもスタンス変えずに曲を作り続けるでしょう、私のことなので。

まとめると

生成AIの進化により以下の展開が待っていると考えます。

  • 新規参入のハードルが高くなる
  • 創作人の技術力が二極化する
  • 生き残った創作人の間で熾烈な競争が起こる
  • 結果的に創作文化は絶えない

そう考えると、案外悲観しなくても良いというのが現在の考えです。
我々創作人は、ここら辺の感情に左右されることなく、ただ淡々と創作活動をしてればいいということが分かりました。なぜなら我々創作人は、モノを作ることがそもそも楽しいので


それでは