こんにちは 相生あおはです
以前から、私の音に対する感じ方は周囲の多くの人と異なっていることは自覚していました。
ただ、最近それがライン越えしていると確信させられることがあったので書いてみます。
~~もくじ~~
私の絶対音感
家族含めた身の回りの人に、私より鋭い絶対音感を持っている人がいないので、鋭いと言いたくなりますが、個人的にはそうじゃないと思ってます。
一般に絶対音感とは、聴いた音を基準音無しに12音の音名で当てられるとあります。
ちなみに実は私、黒鍵の音(Fis, B除く)を反射(?)で当てられません。それらの音は半音ずらして白鍵にして、その白鍵の音名から計算して当てるという、絶対音感持ちの一部の人には軽く引かれた方法で音名を判断してます。
私が黒鍵の中で比較的反射で当てられるFisとBを見ると、幼少期のピアノ練習曲でせいぜい出て来る黒鍵がその二つであることを思い出します。ですので、幼少期に如何に音楽に触れているかも絶対音感を今後維持できるかに寄与しているのではないでしょうか?
ちなみに相対音感は強くありません。移動ドとかされると発狂します。ここら辺は移調楽器に慣れてる方は強そうな印象があります。
なので私は、カラオケで調が違うと一旦thinkingタイムに入ってから歌うか、諦めて調を戻すの二択です。
それなりに絶対音感があるので、それでゴリ押そうとする戦法(失敗することもある)です。
私の共感覚
共感覚とは一般に、特定の音や調の曲を聴いた際に対応した特定の色を連想すること、を指すそうです。
これは明確に存在し、特定の調と色味がある程度対応しています。
Aは赤、Cは黄色、Dは橙、Gは青といった具合です。ただこれらの色はカラーコードで表現しろと言われるともっと絶妙な色になります。原色系で連想されないのが私の共感覚です。
ただ、私自身でも、周囲の考察でも、これらの色は幼少期に音を習った際に鍵盤に貼ったシールの色に引っ張られているのではないかという仮説があります。ですので幼少期の音楽教育が特に寄与している要素だと思ってます。
周囲と比較はあまりしませんが、曲が転調すると、私は目の前の情景(実際に見えているわけではない、仮想デスクトップみたいな領域)の色相が一気に変化したように感じます。
人一倍、転調に敏感な理由は恐らくこれが理由なのでしょうか。
音→色が成り立つならその逆は成立するかという話ですが、私はある程度成立しています。
対応関係の言語化はまだしてないんですが、イルミネーションの色が変わると、いつからか脳内で勝手に流れてるそれっぽいアンビエントな曲の調が変化します。映像作家さんとかはこういうのお持ちなのかちょっと気になっていますね。
私の聴音能力
一般に聴音とは、単音もしくは和音を聴きとる能力とされています。
私は音大出身でも音高出身でもなく、やっていたのは幼少期だけですので簡単なものしかやったことがありませんが、実家にあったソルフェージュの楽譜の最後の方を見ても普通にできるんじゃないかなって感じではありました。
では実際にどうなのかというと、誰かが弾いたピアノの曲を聴き取って楽譜にするのは容易です。また、その人が弾いた音がミスタッチなのかどうなのか、またその音をどうして弾いたのか(楽曲なら何故作曲者がその音を配置したのか)の理由までなんとなく察することが出来ます。
後半は聴音から逸れるとは思いますが、この後半に関する出来事が最近起こったので本稿を書くに至りました。
音を聴くということ
ようやく本題です。
普段皆さんがどのように曲や音を聴いているかは色々なので分かりませんが、私の場合は曲がどう変化していくか、その音にどういう意味があるのかを無意識に勝手に考え込みながら聴いてしまいます。
ですので、和声的に次来る音はこれだと決めつけず、とりあえず鳴っている音を聴いてから解釈しています。もちろん脳内に候補となる音は浮かびますが、その候補で実際に耳に入る音の情報がズレることはありません。
この、音の脳内候補で耳に入る音の情報がズレないというのが、どうも私の聴音能力の異質さらしいです。
現在私は別に音を仕事にしているわけではありません。あくまで趣味です。なので、私のそれは特筆すべきものでもないと思っていました。
しかし音楽を仕事にしている人から指摘されたものですから、異質と認めざるを得ません。なるほど?ってなりました。
具体的なエピソードを挙げてしまうと特定の演奏を名指しで批判することになるので避けますが、最初に私が誤りに気づき、その後審議が入り映像を確認しました。すると確かにミスタッチとなってる鍵盤が打鍵された映像のコマが存在していたため、私の気づきが合っていたといった感じです。
以上、音楽を職にしている人より音の聴き分け能力が高かったという、ライン越え確信エピソードでした。
聴覚過敏?
この辺りから半分病気の域に入ります。聴覚過敏とは、日常の些細な音が気になってしまうことを指すそうです。
私はそこまでではありませんが、特定の音を発し続ける換気扇の音などは気になります。気が滅入っている時はわざわざホワイトノイズを聴いて音を掻き消す感じです。
音と言っても楽音と噪音の2つに分けられます。前者は楽器音や歌声などの、特定の周波数ピークを持つ(≒特定の音名に対応できる)音です。後者はそれ以外の音で、くしゃみや机を叩く音等です。
が、当然その両者の間に境界はなく、ある程度周波数ピークを特定できてしまいそうな噪音も存在します。極端な例がこれでしょう。
togetter.com
元動画が無いんですが、このtogetter内で指摘されている通り私の耳にもF#~Gの間の割とG寄りの音が鳴っているように聴こえます。(G♭と表現している方に私は拍手を送りたいですね。)
バターをフライパンに出す音は原理的にも若干楽音な気もしますが、楽器では無い物を叩いて出す音という意味では噪音との境界に位置している気もします。
例えば絶対音感持ちの人への嫌がらせに、机や壁をノックした音を言い当てさせるというものがあります。
ただこれ、私としては沢山存在しているピークの中で特に目立っているピークの音を充てられる噪音が確かに存在するため、私は一部の噪音であれば音名(群)を対応させることが出来ます。例えば〇と×がメイン、若干△もあるかな、という答え方をします。
このような感じですので、身近で音が一定の音量以上で鳴っていると、まるで誰かがそこで囁いているかのような情報量があるように感じてしまい、ダメになるというわけです。
噪音ならまだ無視できるのですが、楽音となると無理です。ラジオやBGM等は楽曲として耳に入ってくるので良いんですが、ATMのお札取り忘れた時の音などは無理です。なので郵便局員には絶対になれません。
先述した通り、特定の周波数ピークを取りだせてしまうタイプの噪音もダメです。
これらの音は、一度気になるともうダメになってしまいます。
生きづらそうって言われる件
上記エピソードを友人などに何かのきっかけで話すと、そう返されます。確かにそうかもしれません、身の回りの音に振り回されているのですから。
ただ私目線ではこの音の聴こえ方が通常運転で慣れましたし、この聴こえ方のお陰で楽曲に対する解像度を異様に高く出来ているのも事実です。
気が滅入っている時は、周囲の音が全て敵ですから確かに生き地獄ですが、そんなことは年に一回あるかくらい。そして幸いにもそれが作曲に存分に活かせられます。校正作業や感覚で配置した音の調和を確認する時に非常に重宝しています。
総評すればプラス、といったところでしょうか。ただ音や音楽に対するスタンスが、今のところ周囲の作曲人の誰とも分かり合えてないので、そういう点では確かに肩身は狭いです。
粗さがしをしてやろうとは思わなくても、当然悪意等全くなく、無意識的に、本能的に、そう曲を聴いてしまうため「怖い」と言われたこともあります。
逆に自分の曲に対しては粗さがしをしてやろうとして聴いているため、それなりの品質の曲を作れている自信があります。本当に曲を作れる体質でよかったと思います。
これからも作曲活動に昇華して、この私の聴覚を大切にしながら共に生きていこうと思います。もし私と同じような方がいらっしゃったら、それはそれはとても面白い話です。いらっしゃるのかな。
それでは