相生あおはの書庫

ねこにうもれたい。

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"大人"になるということ

こんにちは。相生あおはです。
今年も春が来ましたね。花粉やら黄砂がようやく落ち着いてきた今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。私はというと、スーパーに行くためチャリに乗るたびにサドルに積もった花粉等の粒子を振り払いながら春の訪れを感じてました。
日本では春というと新年度の始まりの季節。進学や就職を多くの方が迎えられてるはず。かくいう私も昨年の春に社会人になり、就職を経験しました。これはつまり、親の扶養を外れたということで、狭義の大人となったわけです。

~~もくじ~~

"大人"って何だろう

現行の民法で定められている成人年齢の観点から「18歳から大人」と言いたがる人もいるでしょうが、実家から仕送りを受け取りながら大学に通う大学生は大人とは言えないと私は考えます*1。要は、親の扶養から外れて初めて大人だということです。逆に、18歳より若くして独立した家計で生きている方々は、もう大人なんじゃないかなって思いますし、尊敬してます。全てを一人で切り開ける、それが"大人"だと思うんです。融通が利かない法が憎いですね。
…なんて、そんなことはいいんです。

あり得た別世界線の自分

考えてみてください。今大学生の人、あなたの通っている学部学科は、学問に対して物心がついた頃に興味を持ち、志そうとしていた全ての分野を学べますか?今社会人の人、今の職は幼いころから抱いていた数多の夢の全てを叶えられていますか?
これに「はい」と答えられるごくわずかの猛者の方を除いた多くの方が、若干センチメンタルな気持ちになると思います。みんな、夢の取捨選択をしているはずです。年を取る=可能性の収束ということです。

かくいう私もセンチメンタルになる側で、これに気づいた時は気が滅入って寝込んだくらいでした。仮にやり直すとしても非常に難しいし、諦めた夢まで叶えるにしてもハードルが高すぎる。人生って残酷です。

諦められてしまった夢

自分の今までの人生を振り返れば、諦めた夢というものがあるはず。今の道には満足してても諦めた道に未練がある場合、それも叶えるためにはどうしてもマンパワーが足りなくなります。

特に私はやりたいことや興味関心が異様に多いため、将来の可能性の絞り込みに相当すると感じた瞬間は胸が痛くなりました。六法全書を片手に外套を纏っている自分や、物々しいガラス器具を前にノートを取っている自分や…。現在の道に不満が無くても、回顧する度に寂しい気持ちになります。

大学進学で狭まる将来の選択肢

人生にはターニングポイントがあります。進学や就職が最たる例でしょう。
例えば大学進学を例に挙げれば、入学時点(もしくは学科・学類確定時点)で勉強できる学問の専門性が確定します*2。これって結構恐ろしいことで、仮に工学系の学部に進んだとします。でも内心では地球科学を学びたかった自分がいた場合、その自分の可能性は潰されることになります。その瞬間、地球科学者になる難易度が跳ね上がってしまうわけです。私のことなんですけど。

しかし、大学で専門で学んだ領域とは違う方面での就職は、修士卒までであればまだ可能です*3。ですので、ここで頑張れば新たな領域に進むことができます。ただし、複数の草鞋を履く難易度が簡単になったわけではありません。

就職でほぼ確定する将来の道

いっぽう就職はどうでしょうか。もっと残酷です。就職が実質的最後の可能性収束の瞬間でしょう。
専門職なんかに就いた暁にはそれに関連した職以外に転身することは難しいと聞きます。企業としても、新卒でもない未経験者を採用する利点が無いからでしょう。その道に特化した人材以外要らないわけです。勤続数十年のホタテ漁師さんが未経験で家電量販店の店頭に立てるでしょうか。
大学時で軌道修正が可能だったのは、大卒・院卒の経験値は社会人目線から見たらドングリの背比べであるからで、社会人になったら"書類上の経験値"というものが重視されるからです。"大人"になる前には通用した興味関心は一切生きない世界。嫌な話です。

つまるところ、"大人"になってしまうと幼いころに抱いていた花屋さんとかの夢を叶えることは非常に困難になるわけです。高校の時に尊敬できる先生に出会って影響された、教師になる道に進むことも困難になるわけです。

このように、就職は大学進学なんかよりよっぽど残酷で、以降の人生での道をほぼ定められるということです。さらにその道が途中で途切れてるかも分かりません。そんな重大な選択行為である就活というものを、研究が忙しい時期に並行して行わせる企業は一体何を考えてるんでしょうか。

"大人"になることの残酷さ

「まだ若いんだから」という言葉を、大人に掛けられた高校時代のことを思い出しました。"大人"になった今だからこそ、その言葉の重みを実感します。思い返せば、そういう言葉を掛ける大人はあまり明るい顔をしていなかった。
"大人"になった今、将来の自分の姿を想像するなんてできません。だって、それは今の自分の姿そのものだから想像するなんて無意味です。おおよそ予想がつくからこそ多くの人は何十年にもなるローン等を組んだりしていくわけです。
ローンを組むなんて大半の学生はやりませんので、"大人"になったことで可能となる行為とも言えます。ただ自分の人生における実行権限が強くなる代償として、将来の夢というワクワクを失っているんです。

解決策: 趣味の偉大さ

確かに、将来の可能性は一つくらいに収束させざるを得ません。でも、それらの夢をスケールダウンしたらどうでしょうか。趣味です。なにも、それで食べていく必要なんてないと私は思うんですよね。よくアマチュア○○って見かけますが、それです。
趣味に時間を割けないのは、ほぼ確で会社が悪いです。表向きどう謳ってるか知りませんが、それは社員をただの駒として扱っているにすぎません。私の人生は私のもの、あなたの人生はあなたのもの。好きでならいいですが、いくらお金を貰えても嫌で他者に尽くすなんて死んだ方がましだと私は思います。
私ならそんなところは辞めて、趣味に時間を割けることが出来て、諦めてしまった夢を小規模にして追い続け、ワクワクが止まらないような、そんな人生を求めます

人生は一度しかないから

私が好きなとある方が仰っていた言葉に、「悩んで生きるより楽しく生きる方が得」というものがあります。本稿で書いてきた暗い話題は、諦めた夢を趣味に転化することで多くが解決すると、現在の私は思っています
楽家になりたかった夢、地震学者になりたかった夢、法律家になりたかった夢、教師になりたかった夢、天文学者になりたかった夢。これらは私が"大人"になる過程で諦めた夢の一部ですが、私はこれらを趣味に転化することで充実した人生を送れていると思っています。それら趣味で知り合いの輪が広がったり、広がった先で新たな発見があったり。趣味があれば"大人"になってもワクワクが止まらないんだなぁって思う日々です。
人生の体感時間は20歳頃が中間と言いますが、これは年を取るにつれ刺激が減るからです。ワクワクが止まらなければ20歳以降の人生も濃密に過ごすことが出来るんじゃないでしょうか。そっちの方がお得じゃないですか?人生に飽きて病んで自死するより、人生ワクワクしまくって老衰で天寿を全うした方が良くないですか?


趣味という熟語を見ると、オモムキという漢字とアジワイという漢字から構成されていることに気づきます。趣があり味わいがあるのが趣味。何て素敵な熟語でしょうか。人生に飽きてきたら過去を思い出し、別世界線にいる自分を現世界線で趣味として召喚してみるのも、いいんじゃないでしょうか。

それでは。

*1:大学生って、お前何歳かって言いたくなるような酷い人もいるということを学部・院の6年間で知って、高校時代の幻想は見事に打ち砕かれました。

*2:もちろん、専門外の授業を学ぶことで壁を壊すことは"技術的には可能"です。

*3:博士だと険しいと聞きます。