こんにちは。相生あおはです。
今年もGWが終わりました、いかがお過ごしでしたか。
私は宮城県民になった身として、被災地には行っておきたいという思いがありました。市内の旧荒浜小学校は何回か訪れてるんですが、南三陸町の方は遠くてなかなか行けずじまいでした。そんななか、東京に越してった大学時代の友人に誘われたので、最高の機会と思い、仙台に越してきて初めて南三陸町に訪れることになりました。
今年のGW後半戦は天候にも恵まれ、絶好の行楽日和。コロナ禍が落ち着きつつある情勢のお陰もあってか、南三陸町は大変な賑わいを見せており、南三陸町を応援したい一観光客としても嬉しい気持ちになりました。
そして、南三陸町応援キャラクター「オクトパス君」生みのYES工房さんより、昨日グッズが到着しましたので、本日この記事を公開しようと思います。ヤッター
~~もくじ~~
1. 仙台からは3時間くらい
南三陸町常連というその友人曰く、昔は早い時間に到着するバスが仙台から出ていたようで。なので列車の切符を購入。途中の柳津から気仙沼方面は鉄路ではなくBRT(線路跡をバスが走る)という形態ということは知ってたのですが、やっぱりsuica一本で仙台から行けないことを出発前日に知りました。BRT内ではsuica使えるのに、仙台から乗り通せないのは割と不便だなぁ…
さて列車を乗り継いていきます。まず一回目の乗り換えが発生する小牛田へ。
うわさ話では聞いていたのですが、初めて生で見て感動しました。でも盛り上がってるのは私だけでした。
小牛田です。駅名自体は仙台駅ではいつも目にするものの、終点はなかなか行かないので「実在するんだ~」という謎の感想を抱きました。
きっと昔は長い貨物列車とかも来てたんでしょう。
北海道で1日3本みたいな時刻表見てきたから、まだまだ全然田舎じゃないな~とか思ってました。って言ったら同行者に軽く引かれて笑いました。
そこから、1両編成の列を成していない列車に乗り、二回目の乗り換えが発生する前谷地へ。乗車OKサインの車側灯が光ったのが見えなかったので一生ホームで待ってましたが、乗客の一人がボタンを押してドアを開けたと同時に、ホームで待っていた乗客が乗り込みます。1時間に1本程度で私たち以外に乗り込む乗客が普通にいる路線。やはり限界を極めている路線ではなさそう。
知らなかったんですが、小牛田駅って美里町にあるんですって。そして、途中列車は涌谷駅も通り。宮城県民なら天気予報などで一度は耳にする、「どんなとこなんだろう~」って地名に実際にいるという経験をして、謎に感動していました。今までの流れ的にお察しの通り、これに感動してたのは私だけでした。
小牛田から前谷地は割とすぐでした。
2. 前谷地駅周辺散策
前谷地です。いい雰囲気。現在は長くても2両編成の列車しか来ないのにこの広さ。往年の興隆を偲ばせます。
ああ最高、THE・ローカル。現役なのか分かりませんがこういうのを見ると盛り上がります。
北海道の音威子府や名寄、宮城県では浜吉田駅とかで見た跨線橋と雰囲気が凄く似てました。一気に旅情が増します。
石巻駅にも生えてたような?
BRTに乗り換えるため、乗り場がある駅構内の外へ。仙台から南三陸町(志津川駅)までは100km無いので、我々が持っている切符は規則上は途中下車不可なんですがこれは許されるんか…?という警告が脳内で出続けながらも外へ。散策したそうな同行者を静止するのも野暮ですし、乗り換えるBRTへも時間が空いたため「まぁいっか」ということで周辺を散策しました。
道を渡る時、目の前の道路を田植え用の苗を運搬している軽トラックが通過していった時は大興奮でした。初めて見た。
昔この辺りは河南町と言ったそう。今は合併されて石巻市。旧地名が記載された掲示と並ぶ現行の掲示。いいですね~
こういう所をのんびり歩いている時こそ、生を実感します。
と満喫していたところ時間が近づいてきたため、駅に戻りました。
3. 南三陸町へ
前谷地駅に着いてからずっと駅前でブロロロ言ってたバスが来ました。
私がたまに行く仙台駅構内の回らない寿司屋にいる気仙沼市の「ホヤぼーや」と共演する、今日の目的地である南三陸町の「オクトパス君」。誘ってきた友人がオクトパス君の大ファンなので、関連物を見ると激写しだすのが面白かったです。その気持ち、よーわかるで…
BRTという仕組みは知ってたものの、実際に乗るのは初めてでした。一般道だけでなく専用道も通る感じでした。
この光景だけすればフツーの路線バス旅にみえるんですけども。
明らかに単線鉄道用のトンネルをバスが疾走していくのは非常に新鮮な経験でした。今我々が乗ってるのが鉄道なのかバスなのか分からなくなってきて面白かったです。
暫くすると海が見えてきます。南三陸町はもうじきです。その南三陸町で初めて見た建物はこちら。
記事や資料で見たことはありましたが、現物を目の前にしたのは初めてでした。一応私も東日本大震災当時に首都圏で被災したといっても、あの高さまで津波が到達したとは信じられないので、伝承していく重要性を感じます。
津波の被害を受けたと思われる高さまではガラスが割れ外壁が剥がれているのに対し、それ以上の高さでは大きな損傷が見られないのが、当時の津波を想起させて生々しくて恐ろしかったです。
壊滅的な被害を受けた南三陸町も、この日は大勢の観光客で大賑わいでした。我々が乗っていたバスも渋滞に軽く巻き込まれるくらい。喜んで沢山お金を落とすぞ~と、観光地での散財を正当化する私でした。
4. 南三陸さんさん商店街
念願のさんさん商店街に到着。それはもう凄い人。駐車場は満車でした。
南三陸の"三"の漢字が螺旋っぽい構造で書かれています。恐らく釣りのリールをモチーフとしているんでしょうけど、私にはヘリックス構造に見えて仕方ありませんでした(分かりやすいサイトが無かったんで通じる人だけに通じればいいです)。
我々のまず最初の目当てはウニ丼!さんさん商店街と言ったらキラキラうに丼が名物とのこと!北海道旅で完全にウニ好きになった私としても外せない!早速店へ…
マジでどの店舗にも全人類が並んでました。お昼時だったからでしょうけど、GWでゆったり食べるなら南三陸町に泊る必要があるんじゃないかなってくらいでした。というわけで順番待ちの紙に記名して、周辺を散策します。
東日本大震災の被災物として恐らく一番有名であろう旧南三陸町庁舎。存在は当然知っていましたが、現物を目の前にするともう本当に、ここまでくると本当に言葉というものが出てこなくなるんですね。
嵩上げされた道路、なだらかな防潮堤。海産物が主力の商店街なのに漁港からかなりの距離がある。そして嵩上げされていない土地は未だに緑地。一応私は地球2周半分くらい日本を旅していろんな観光地を見てきたつもりですが、凄く異様な光景でした*1。防潮堤に関してだけでも、とある地域で是非が問われ宮城県内で問題になりました。千年に一度の津波にそこまでする必要があるか等。善意が仇となり得るのが未曾有の大災害対策。凄く残酷です。
でも、この南三陸町のように嵩上げの一環で防潮堤と基盤を一体化させると景観があまり損なわれないんですね。それでもあれから12年が経った今でも広がる緑地。普通であれば宿泊施設が並んでいるのに。防災の難しさ、自然の脅威に対する人間の無力さ。現在の人類の叡智を集めても、地震の完全な予測は不可能です。本当に溜息しか出てきませんでした。災害や防災は、私が東北に引っ越すきっかけとなった重要な事項ですので、これ以上は別記事で書こうと思います。
さんさん商店街に戻ってきました。それでもまだ我々の番ではなく、しばらく待った後…
本当に新鮮なウニでした。ウニが苦手と言ってた同行者の一人も、「これなら食べれる」と言いながら、美味しいと食べてました。そうやぞ、新鮮なウニは美味しいんや。確かに美味しいは美味しかったんですが、北海道は稚内の某所で食べたウニ丼と比べると、かなり優しめの味でした。嘘は書きたくないので敢えて本当のことを書きますが、私個人としては道産ウニの方が好きかな…。それでも充分に美味しかったです。
5. 南三陸町をサイクリング
南三陸町の観光キャラクターであるオクトパス君を生んだ工房、"YES工房"が山の方にあるそうです。誘ってきた友人の目当ての一つはそこだったので、我々はレンタサイクルで向かうことに。
道中は緩やかな坂道で、距離も結構あったので、ノーマル自転車だとかなり疲れました。それでも本当に天候に恵まれ、絶好のサイクリング日和でした。顔を撫でる風が心地よかった。
今から思い返せば撮影許可貰えばよかったと後悔。多分NGなんてことないと思いますが、工房の所長さんのお話をずっと聞いていたので撮る暇がありませんでした。
廃校を活用した工房なので、廃校工房となり、それが"廃"→"はい"→"YES"と転じてYES工房になったとか。オクトパス君は南三陸町内でいろんな所のポスターで活躍していて、地元の小学生からも支持されているとか。オクトパス→置くとパスの語呂で縁起物になったり。これからのYES工房の在り方やオクトパス君の将来とか。アイドル的キャラクターを軸に地方活性化を真剣に考えてらっしゃるということがひしひしと伝わってきました。
私も旅先で寂れた地方等見てきて、氏ほどではありませんが、地方を応援したいと思っている身というのもあり、大変共感できるお話を伺えてとても楽しかったです。そして、沢山オクトパス君グッズを買っちゃいました。在庫が無いものもあったので、入荷したのちに買ったもの全てを郵送してくださることに。なんと!
深々とお辞儀をしてYES工房を後にし、すぐ裏手にある入谷八幡神社へ。
オクトパス君は街のシンボルです。実際、オクトパス君は旅先ですれ違う見知らぬ旅人がキーホルダーかステッカーを着けているということが多いので、南三陸町の方々に留まらず多くの旅人からも愛されているに違いありません。
帰りのバスの時間が近づいてきたので、さんさん商店街に戻ります。
途中、川底が見えるくらい澄んだ小川や液肥無料配布(!?)のタンクを眺めながら、山を下りていきます。すると、行きには撮れなかったものが。
ここ、海から3kmくらい離れた山奥なんですよ。ここまで津波が来るとは信じられませんでした。すぐ横を小川が流れてるので、河川を遡上してきた河川津波だったのかもしれませんが、路面は川面から割と高さがあるので、それだとしても信じがたい。でもそれが現実に起こった。災害大国に住んでいることは忘れてはいけません。
気を抜くとすぐ災害の話に脱線してしまいますが、元々は被災地であり無条件に喜べてはしゃげるような場所ではないので許してほしい。
レンタサイクルを行っている店は写真館さんで、被災当時の写真を展示されているそう。入りたかったんですが、時間が無かったので屋外のパネル展示を見るに留まりました。またいつか見に来たい。
6. 南三陸町を後にする
日も良い感じに傾いてきました。
南三陸町はもう現在は観光地になってて活気づいているということは友人からもネットからも見聞きしてて知っていたことですが、今回はそれを身をもって体感できました。
さんさん商店街の駐車場に停まっていた車は宮城や岩手だけでなく青森や新潟、さらに東京と多岐に渡っており、多くの旅人から愛されているということも知れて、何故かとても嬉しい気持ちでした。
そんなわけで我々一行は夕方頃に仙台に戻ってきました。
7. おわりに
最高の一日でした。私は約半年旅行が出来ていなかったためか、行先は県内で交通費も5千円すら行かないくらいという小旅行でも充分楽しめ、大満足でした。そして、自分の目でしっかり見てその場で実際に体感することの重要性を改めて認識しました。旅というのは、見聞きした情報の答え合わせという側面もあるんだと思いました。
今回我々は仙台から日帰りで行きましたが、南三陸町内にも宿泊施設があるそうで、そちらもチェックしてみたいです。皆さんも是非足を運んでみてください。
それでは
*1:ごめん九州は沖縄以外未踏。いつか行きたい。